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大阪家庭裁判所 昭和57年(少)13726号 決定 1982年12月24日

少年 N・Z(昭四一・八・二二生)

主文

少年を昭和五八年一二月二三日まで中等少年院に戻して収容する。

傷害保護事件につき、少年を保護処分に付さない。

理由

(事実)

本件各記録ならびに審判の結果によると、次の事実を認めることができる。

一  少年は、昭和五五年一一月七日、大阪家庭裁判所において、初等少年院送致の決定を受け、加古川学園に収容され、昭和五七年三月二六日、仮退院により、同学園から指定居住地である京都市○○区○○町××番地の実母方に帰住し、同日中に京都保護観察所に出頭した。その後、少年が同年四月下旬、大阪府○○郡○○町○○団地××―××の実父方に転居し、次いで、同年七月一四日には大阪市○○区○○×丁目××番×号○○荘××号室に再び転居したのに伴い、現に少年は大阪保護観察所の保護観察下に置かれているものである。

二  少年は、右仮退院に際し、犯罪者予防更生法三四条二項所定の一般遵守事項のほか、近畿地方更生保護委員会の定めた次の特別遵守事項を遵守する旨を誓約した。

(1)  昭和五七年三月二六日までに前記実母方に帰住すること。

(2)  右同日までに京都保護観察所に出頭すること。

(3)  組関係の者とは絶対に交際しないこと。

(4)  シンナー、ボンドの吸引しないこと。

(5)  家出をしないこと。

(6)  早く仕事について辛抱強く働くこと。

(7)  進んで保護司をたずね指導を受けること。

三  しかるに、少年は、(1)昭和五七年七月一四日から同年八月二一日までの間、前記○○荘の自室において、数回にわたつてシンナーを吸引し、(2)同年八月二三日午前一時三〇分ごろ、府下東大阪市○○の交差点において、同年一一月二一日午前九時五〇分ごろ、大阪市○○区○○×丁目××番地先道路において、いずれもバイクを無免許運転し、(3)同年一〇月二六日午後六時一五分ごろ、府下泉佐野市○○×丁目×番××号先道路において、少年が同乗しA運転にかかる自動車が、停車中の対向車両をかわし切れず、道路左側の石垣に衝突したことに腹を立て、右対向車の運転者であるB(当四〇歳)を車外に引きずり出し、右Aとともに右Bの顔面、腹部等を殴打する暴行を加え、よつて同人に対し約一か月間の治療を要する頭部、腹部、胸部打撲等の傷害を負わせ(昭和五七年少第一三七二六号事件)、(4)同年一〇月上旬ごろから、暴力団○○組系の某組員や同じく右Aらと交際し、理由は不詳であるが、同年一一月一〇日ごろ、自らその左手小指を切断し組への詫びとしてこれを右某組員に手渡しする(俗に指をつめる)などし、(5)同年七月一四日から前記○○荘で暮らすようになるや、実母との同居を拒否し、不良仲間を引き入れ自室を飲酒、シンナー吸引、不純異性交遊の溜り場と化さしめ、もつて近隣に迷惑を与え、(6)同年八月終わりごろ、実母の知人宅である大阪市○○区○○×丁目×番××号C方において、家人不在の間に建具やガラスを損壊し、家具を散乱させるなど器物損壊等を敢行し、さらに同年一〇月四日夜、右C方において、野球の金属バットを振り回して室内の壁等を凹損させるとともに、右Cの胸倉をつかんで今にも右金属バットで殴りかからんばかりの勢威を示すなどし、(7)担当保護司○○○○の指導に反抗して暴言を吐き、脅迫的言辞を弄するなどし、ために同保護司をして同年九月一三日、遂に担当辞退を申し出るの止むなきに至らしめ、爾後、保護観察官の直接担当となつたのであるが、主任保護観察官が同年一〇月五日、同月二八日の二回にわたり、予告付きでした往訪に際し、所在をくらまして面接を拒否し、同年一一月一九日、同月二四日の二回にわたりした呼出しにも応じなかつた、ものである。

(処遇の理由)

前記三(1)の事実は、一般遵守事項(2)および特別遵守事項(4)に、同(4)、(5)の各事実は、一般遵守事項(3)および特別遵守事項(3)に、同(2)、(3)、(6)の各事実は一般遵守事項(2)に、同(7)の事実は特別遵守事項(7)にそれぞれ反するものであるから、仮退院中の少年につき、犯罪者予防更生法四三条一項所定の遵守義務違反の事実の存することは争う余地がない。ところで、前記一般遵守事項および特別遵守事項は、いずれも少年に対しもとより決して難きを強いるものではないが、前記加古川学園を仮退院して実母の下に帰住するに至つたのちの少年の行状は、右各遵守事項違反の事実関係に象徴的に表わされているように、一言にしていえば全くの傍若無人で無軌道きわまりない生活に陥つているものといわざるをえず、今や保護義務者たる実母でさえ匙を投げ、少年院への戻し収容を強く望む事態に立ち至つている。少年は、仮退院後一か月ほど徒遊し、その後昭和五七年四月下旬からおよそ二か月間は土工として、同年六月下旬から二か月足らずは食堂の皿洗い等としてほんの申し訳程度に働いたのみであり、同年八月二三日に前記三(2)前段記載のバイクの無免許運転をしていた際、事故を起こして負傷し同年九月一五日までの間入院していたから、この間は止むをえなかつたとはいうものの、その後負傷もおおむね完治し、同(2)後段の無免許運転、同(3)の傷害事犯、同(6)後段の暴力事犯などを敢行するだけの元気を取り戻していながら不就労のまま今日に至つており、全体としては、健全な勤労生活からはおよそ縁遠い生活に終始していたものであり、一般遵守事項(1)および特別遵守事項(6)に反するものと指摘されても止むをえないところであろう。少年は乳児期に実父母が離別したため、実父と最初の継母に、次いで父方祖母に、少年が五歳になつた昭和四六年ごろから実父と二人目の継母に育てられ、実母とは少年が地元中学校に進学した昭和五四年ごろから一緒に暮らすようになつたのであるが、最初の継母と祖母が少年を毛嫌いして接していたところから、乳幼児時に深い外傷経験を経ており、これがために大人に対する不信感が極度に強く、実母に対しても少年を捨てたとして攻撃性を強めており、しかも反面で年齢不相応に依存している。

以上のごとき、少年の性格、行状、行動傾向、保護環境、本件遵守事項不遵守の内容、程度その他諸般の事情を総合考慮すると、少年については、もはや社会内処遇は困難であるといわざるをえず、中等少年院に戻して収容ずることとし、少年院における再度の矯正教育に期待をかけることとするのが相当であると思料される。戻し収容期間は、前記加古川学園における一年四月余にわたる収容をもつてしても、矯正目的未達成に終わつているところから見て、少くとも同程度以上の期間収容を要するものとも考えられるが、少年は、当審判廷において、前非を悔い、将来は実母と仲良く暮らすようになれるよう今度こそは少年院での教育をしつかりと身につけてきたいと、涙ながらに固い決意を表明しており、この際、少年の右決意のほどを信頼することとし、本決定の日から向う一年間に限つて戻して収容することにとどめたいと思う。

なお、少年院における矯正教育は対象少年が仮退院により身柄の拘束を解かれて社会復帰を遂げたのちにおいても、いわゆる二号観察の継続する限りは、保護観察所のする指導援護と有機的一体のものとしてなお機能するものであることは、戻し収容なる法律制度の置かれていること自体に徴して明白であり、したがつて仮退院中の少年の全行動が戻し収容の是非の判断資料となるべきものであつて、非行事実についても、特にこれを別個独立に取り上げて別個の処遇を考えるべき特別な事情のない限りは、戻し収容の是非の判断をするに当たり、顧慮すれば足りると解する。そこで、前記三(3)記載の傷害保護事件についても本件戻し収容の一理由として顧慮するに止めることとし、これを別個に取り上げて少年を保護処分に付することはしない。

よつて、犯罪者予防更生法四三条一項、少年審判規則五五条、少年法二三条二項、二四条一項三号、右規則三七条一項後段にしたがい、主文のとおり決定する。

(裁判官 岡本多市)

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